1949年(昭和24年)から創業した糸嶺商会は
これまで築いた信頼を礎に、挑戦と成長を続けます
みなさまの安全と暮らしを支える不動産会社から
地域のちからを息吹かせ、
居心地のいい場所をつくりつづける「未来創造カンパニー」へ――
いきいきとヒトが
いとなみ、はぐくむ
彩りあるまちづくりの
意志を継ぐ
これまでも、そしてこれからも、地域とともに

糸嶺商会の頭文字「い」をデザイン化し、地域社会と手をとりあって価値ある活動空間づくりをしていきたい、私共の心をシンボル化したものてす。カラーは、プルーは沖縄の空と海の色でありグリーンは沖縄の木々の色です。

地域社会に貢献できるスペースデベロッパーを目指していきたい、私共の心を表わしており、この思いを常に抱きながら、沖縄県那覇市の発展に貢献したいと考えております。
Founding創業者 糸嶺篤温
- 1949
- 戦後の復興期、現代表の糸嶺篤秀の父母が石炭販売、貸家・駐車場経営として創業。
創業者 糸嶺篤温
- 1955
- 合資会社糸嶺商会を設立する。
- 1957
- まきし温泉の営業を開始する。
まきし温泉
- 1965
- みどり荘のアパート部分が完成する。
みどり荘
- 1972
- 戦後、アメリカの統治下にあった沖縄が本土復帰する。
那覇市の都市部開発の先駆けとして那覇市のメインストリート「沖映通り」に、地下1階・地上6階建の「いとみね会館」を建設する。
糸嶺会館 落成式
- 1975
- 沖映通りに商業近代化の起爆剤となる地下1階地上8階建てのマルイビルを建設する。同時に流通業界大手のダイエーを誘致し、県内初の大型ショッピングセンターの「ダイナハ」の営業が開始される。
ダイナハの開業に合わせ、4階建ての400台収容可能な「みどり立体駐車場」を完成させ、営業を開始する。
当時のダイエーの年商は100億ほどで、車の渋滞が激しい時には58号線迄並んでいる時もあった。ダイナハの開業は、「沖映通り」への集客にも大きく寄与し、沖映通り全体の繁栄、ひいては沖縄経済にも貢献した。
・組織資産となる不動産を開発
・駐車場経営を開始
D-nahaビル(ダイエー時代)
みどり立体駐車場
Development2代目代表 糸嶺トヨ子
- 1978
- ダイナハが順調に売り上げを上げていた一方、創業者の糸嶺篤温が亡くなり、篤温の妻・トヨ子が跡を継ぎ、経営を行う。経営では、数々の苦労もあったが、「アチャーンヒーヌアサ(明日という日がある)」をモットーに苦労を乗り越えてきた。
2代目代表 糸嶺トヨ子
- 1980
- 那覇商工会議所婦人部を立ち上げ、初代会長となる。また、那覇法人会婦人部会の初代会長も務めるなど沖縄県の商工業の振興に尽力した。
- 1984
- 民間ボランティア団体である沖縄パイロットクラブの設立に当初からかかわり、2度会長職を歴任する。
- 1989
- 社会福祉法人通篤福祉会を設立し、コスモ保育園を開園。働く女性の支援と乳幼児の健全育成に貢献した。
・人的資産である経営におけるリーダーシップを発揮
・地域の商工業の振興や社会福祉への貢献を通した人的ネットワークを築く
Growth3代目代表 糸嶺篤秀
- 1994
- 2代目 糸嶺トヨ子から糸嶺篤秀へ代表交代。
3代目代表 糸嶺篤秀
- 2002
- ダイナハの営業が終了する。 ダイナハの営業終了後の約5年はテナントが埋まらず、またそれに伴いみどり立体駐車場の利用客も激減し、苦境の時代を過ごす。
- 2009
- 県内最大規模の書店「ジュンク堂書店」と契約し開店、施設名も「D-naha」にリニューアルオープンする。代表の糸嶺篤秀は、ダイナハ営業終了後、ジュンク堂書店の誘致・入居に尽力した。
ジュンク堂書店の開店は、客足が遠のいていた沖映通りの商店街へ再び活気をもたらした。ジュンク堂がテナント入居してくれたことで糸嶺商会も落ち着きを取り戻し、それ以外の自社所有管理物件のリーシングを行い、地道に営業を行う。
・不動産管理のビジネスモデルを築く
・関係分野との調整能力を高める
・ステークホルダーとの信頼関係をより強固なものに構築
- 2024
- 那覇市牧志を中心に自社所有のオフィスビルや商業施設 アパート、店舗など10棟を管理。築年数が約50年のみどり立体駐車場を建て替えるプロジェクトを進行中。
創業も75年目を迎えている今を第二創業期と位置づけ他の自社所有物件も再開発計画を立てながら新たなスポ ットを創り出す事業に取り組んでいる最中である。



